海外の銀行口座をもつって手はどうなのか?

マイナンバー舞ナンバーと騒がれてますが、貧乏人にはあまり関係ありません。(やかましいわ)

 

それでもやっぱり、全て把握されて副業も手軽にできないこんな世の中じゃ(ポイズン)なんですけど、世知辛くなるなーと。

 

テレビもねぇ!ラジオもねぇ!金利もねぇ!資産もねぇ!オラこんな村いやだ~こんな村いやだ~!

 

とは誰かが言うんでしょうけど、自分で防衛はしていかないといけないなーとこんな世の中になって思うわけです。

 

いろいろ調べてみると、マイナンバーで補足される海外の銀行口座は5000万円クラスと言っていたりするので、それまではありなのか?と。

 

香港やらニュージーランド相続税がありませんが、そこに現金積んでいたら子供や奥さんにお金移せるのかなー?と不思議に思ったりするんですが、どーなんしょ。

 

共同名義で口座を持てばどっちかが死んでもふたりのものだから相続は発生しないのかなーとおもったりするんですけど。(きになるきになる木)

 

税金が上がり、相続税も上がり、お金が残らない(もともとないんですが。やかましいわ)ならなんのために血反吐吐きながら働いているのか?(せいぜいため息ですが。)

 

と思ったりするので、どーにか海外口座でがっちり行きたいところなので探してたら、

kaigai-asset.com

できるってサイトがあってどーなのかなと一瞬揺らいだんですが、誰か続報をお待ちしております。

ドックフードが嫌いな犬とそうじゃない犬

犬と猫どっち派?と聞かれれば即答で「犬」と答えるくらいには犬好きですし、小さいころから犬がいる生活をしてました。(途中間が何年かあきますが)

 

最初に飼った犬は、真っ白のスピッツみたいな犬でした。(捨てられていたのでウチで飼ったのがきっかけ)

 

毛がモフモフで可愛い清楚なワンちゃんでしたが、食事への執着は強かったように思います。というより、当時はどこもネコまんま、残飯を与えていたような時代だったのでドックフードより単純に美味しかったのかもしれません。

 

人間の食べるものをあげていたらドックフードを食べなくなってしまったという飼い主の責任でもある癖がついてしまった。

 

時は経ってその後、お別れになってしまうのですがやっぱり別れは辛かったです。

 

 

その後、次の犬を飼ってしまったら最初に飼ったワンコが悲しむ。また将来別れることになるのは嫌だ。という感情が渦巻き何年も犬を飼わずにいたのですが、ひょんなことからまた飼い始めることに。

 

すると、今度の犬は大分性格が違うようで、食よりも運動やら遊びに執着があり、食事には興味がない様子。

 

面白いなーとおもいつつ。人間も犬も興味の対象は違うんだな。と思った次第。

 

 

でも、人間の食事をあげるのはよくないと獣医さんにもいわれたので、今度は人間の食事はあたえす無添加のドックフードをあげるようにしてます。

 

犬といっても人間のように多様性があるんだなーとふと気づかされた瞬間でした。おもしろいものです。

 

 

自分の好きなことをやり続けるということ

先月、友人が晴れて自分のCDを出し、jazzギタリストとしてその道を歩むことになったようで、いろいろと思うところがあった。

 

彼は、中学高校、大学とギターをやってきて、相当練習もしただろうし、相当時間も費やしたと思う。

 

なにより、音楽が好きで音楽に関わるような人生を選んだというほうが適切な表現かもしれない。

 

大学も決して悪くはなかったし、英語も話せるので、サラリーマンとしても問題なく生活できただろう。

 

でも、不安定で一握りの世界それもJAZZというジャンルでの生き方を選んだようで、なによりCD発売ではなく、その道を選んだことに私的には賛辞を送りたいと思ってる。

 

 

JAZZ発祥の地、ニューオリンズ。彼も武者修行でその地で路上パフォーマンスをしていた。

ニューオリンズはパフォーマンス者が日銭を稼いで音楽で食べていける(その日暮らしだとしても生活は成り立つようだ)環境にあるそうだ。

 

 

かたや日本で路上パフォーマンスをやるようなら「売れてない音楽家」「いまどきJAZZなんて」というようなレッテルを貼られかねない。

 

日本のJAZZシーンはよくわからないが、間違いなく層は限られているだろう。

 

JAZZミュージシャンに寛容であるとも思えない。

 

そういったことを踏まえて、まずはその道を選択した彼の勇気とこれからに最大の賛辞を応援を表したい。

 

頑張れ応援してる

それにしても英会話のハードル高くない?

この私が今、英語マイブームを迎えていることは、元旦には紅白歌合戦があるってことくらい、世間の皆さんも周知のとおりだと思うんですけど、「にしても英会話ハードルたかくね?」

 

「日本で英語つかうところなくね?」

「外人とっ捕まえて話すの?」「不審者じゃね?」

「捕まらない大丈夫?」

 

という気分に苛まれているんですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

 

英語を使う職場だったらいざ知らず。まず使いません。というか日本語もあまり職場で使いません(白目

 

 

やっぱりね英会話サービスなんかを使ったほうがいいのかね?それとも英会話カフェとかいったほうがいいのかね?

 

 

というかそもそもの話でね。

 

 

TOEICとかTOEFLとかいらんのですよ。英語が不自由なく聞けて、不自由なく話せればいいんです。それが私の目指すところなんですよね。

 

 

だから机向かって勉強というよりかは、そこをすっ飛ばして英語を話せるようになりたい。極端な話ですけどね。

 

 

でも、まぁこの間の村上さんのお話を記事にしたこれ

lfh.hatenablog.jp

 

 

では、やっぱり近道はないのかなと。そうやっとこさ理解したわけなんですけど、人間弱いものです。(あーこわいこわい

 

 

 勉強はするけど、もうそれだったら最初から外人と話しちゃえばいいんじゃね?これ一番効率よくね?なんなら日本語で無理やり伝えるひょうきんさくらいはあるぜ?みたいな結論に達したんですけど、そんな無茶を引き受けてくれる外人いなくね?

 

そもそも外人すくなくね?

そこらへんに歩いてるのどっちかっていうとアジア人じゃね?

HUBとかでナンパ?もっとハードルたかくね?

確実に不審者じゃね?

 

 

とかっていうお話になって大変困っています。

 

 

仕事で使うならモチベーションも上がるし、実際つかうしみたいなー。

日本語で不自由しないしー困らないしーみたいなーチョーベリーバットみないなー

 

 

もうお財布に痛いけど、英会話サービスをあわせて使ってやろうかと思ってるんだけど、どうしようか迷っているところであります。

 

 

だって、英語を毎日聞いて、毎日単語覚えて、英文読むのはいいんだけど、現状職場でも使わないし、披露する場がない!

 

/(^o^)\ナンテコッタ/(^o^)\フジサーン

 

 

 

だからそういう代償(お金…fly away)も必要なんですきっと!!!!

英語の手紙四苦HACKと英語勉強

最近、英語の勉強を性懲りもなくまたし始めた。

 

英語で文章を書いてみようとおもって、海外の友人にあてて手紙を書こうとおもったってのもあるし、本を読んだっていうのもある。(どうでもいいけど、手紙の書き方とかその都度調べる非効率男)

 

読んだ本は、元グーグル不社長の村上氏の「村上式英語勉強法」(※タイトルはたしかこんな感じ。読んだけれどタイトル覚えてない)

 

 というのに見事に触発されてしまったのだ。

 

 

この村上氏は31才から英語の勉強をし、グーグル副社長まで上り詰めた。正直凄いなーと思ってたんだけど、もともと帰国子女でもなければしっかり勉強もしたこともなかったというから驚きなんだけど、素直に凄いわーと。

 

 

なんだか、気合、根性論にも少し似てるような気がしないでもないんだけど、突き詰めると結局そこなんだよなーと思わざる負えないというのが感想で正直なところ。

 

 

だって、そもそもの英語の勉強で、睡眠時勉強法なんて今日日意味ないのは周知のとおりだし、聞くだけ英会話なんてのも意味ないのはみんな薄々感じ取っているでしょう?自分も楽して英語が身に付くとは思ってないし、やらなくちゃいけないんだと頭では理解してるのよ。

 

 

やっぱり、集中してどれだけ英語に時間をついやすか?って話になるんだよやっぱり。そういった意味でも、面白い本だったかなーと思う。

 

 

ただ聞き流すだけじゃ意味ないし、単語も覚えないとやっていけないわけよ。

 

 

英語を聞くときは「~ながら聞く」じゃなくて英語を聞くこと集中しないと駄目だよね。たとえわかんなくても。

 

そういった、無駄やあれこれ考えて英語の勉強をするよりも、

「とにかく1万語の単語を覚えろ。」

「わからなくてもそのまま進め遣り通せ」

「英語は毎日一時間聞け」

「空き時間に英文を読め」

「恐れるな!英語を使え」

 

って話を本で紹介してるんだけど、突き詰めるとやっぱりそこなんだよなーと改めて思う。

 

 

なにもせずに英語が身に付くハズないし、結局はやるかやらないか。

 

時間を作るか?作れるか?みたいな話なんだよなーとおもって、勉強を少しづつ始めた。

 

 

といっても、英語に触れる時間を作ったというほうが正しいかな。通勤とかお風呂のときにBBC聞いたり(イギリス英語の方が聞きやすい)、BBCのWEBサイトを見たりとちょっとづつ習慣化してやろうと目論んでる次第です。

 

 

スキルアップとしての英語というよりかは、英語を使えたらもっとネットも面白いだろうし、楽なのかなと思って勉強してるし、英語忘れて海外の友達と疎遠になりすぎてるからっつうのもあるんだけどね。

 

 

 

 

 

問題への向き合いかた

世の中の夫婦の間に喧嘩がないところがあるとしたら、それはまぼろしだろうと思うし、そんなことありえない。


仲のいい友人、知人にも起こるこのなのに、一緒に住んでいて過ごす時間の長い夫婦にあって喧嘩をしないというのは無理だろう。小さい、大きい関わらず、か ならず起こりうるもので、それを”どう”解決するか。あるいは回避するかが大きな問題だ。怒ったまま時間が過ぎるのをまつのか。しっかり話し合うのか。そ れぞれ夫婦の形というのもあるだろう。


どれが正解というのはないだろう。でも、問題を先送りにしない。察しての文化の継続は少なくとも間違っていると思う。近くに身近にいる存在だからこそ、はっきりと伝えたほうがいい。これは間違いない。


伝わってないことが後々の問題にも繋がってくる。一方が我慢すれば、それは大きな歪みになるだろうし、お互いの心に深く根ざす遺恨となっています。
でも、実際振り返ってみても自分の気持ちが整理付かずに、相手に伝えなかったり、不機嫌という現象を引き起こすこともある。


どうしたらいいかは本来わかっているのに、そういうことをしてしまう愚かさは「どうしたものか」と思えど、中々実行できないのが人間の性なのか私の性なのか。
うーん。間違いなく自分の問題だ。

と思いつつ、反省をする。

ことの重大さが重大さなら大変に大きな問題になりかねないだけに、こういうことは気をつけたい。

喧嘩はこれからもいくらでもある。あるけれども、喧嘩の仕方が大切だし、どう向き合うか?をしっかりと考えたいと思ったこのごろである。

引越しの雑記

先日、バタバタと色々苦労したが引越しを無事終えた。手狭になった部屋から部屋数も増え洗面所も広くなり、トイレも広くなった新居へと引っ越した。

引越し自体は結構大変で、いろいろとトラブルはあったが無事終わってよかった。私自身はあまりものがないので、ダンボール2~3個分程度しかないけれども、全体としては大分多くなった。


共有のものや家具、家電はもちろんあるが、連れの所有物について持ちすぎじゃないかと他人事のように思ったけれどもまぁしかたないのかなーと思ってた。


新しい生活に入って、色々とそろえたりあれをこうしたい。これをああしたい。だとか色々と考えがあるみたいだけれども、好きにしてくれという太平洋のような気持ちで構えている。


確かに新しい生活は悪くない。色々と揃え、気持ちのいい家庭への箱は大切だ。そんなことを思いながら新居での食事とバスタイムを満喫していた。


基本的には気に入っている。これから楽しむように家を住み心地のいいものにしていきたい。リラックスできる場所が”家”であるべきで、居心地のいい場所であるべきだろう。


自分が居心地がいいというよりかは連れが居心地がよければ自分も居心地がいいので任せている。好きにしてくれと。それは興味がないのではなく、そうした方がいいからという判断による。